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手元に亡き母の白黒写真が2枚並んでいる。
30年前に祖母から渡され、引き出しの奥にしまいこんでいたもので、
ところどころ黄ばんでいるが映りは鮮明である。
1枚は独身時代らしい。
長くカールされた髪が帽子の下から伸び、背筋がピンとして若さに満ちている。
しかし、そんな母の思い出は何ひとつ無い。
もう1枚は病床で半身を起こし、かたわらの私を抱いている。
穏やかに笑っているが、若い頃とは別人のような生気の失せたその顔を
3歳の幼児が見上げている。
それからほどなく彼女は逝ってしまった。
49年前の冬、母に先立たれた4歳の私は霊柩車に乗せられ火葬場へ向かい、
窯から出てきた骨を拾った。
当時、死の意味が理解できていたか解らないが、帰りの坂道で振り返った時に、
煙突から白く細く、なごりのような煙がたなびいていたのを覚えている。
その光景は大人になっても夢に出てきた。
52歳になった私は、突然の胸痛で入院した。
絶え間なく襲う息苦しさと不安に、眠れぬ幾夜を過ごした。
そうした中、時々訪れるまどろみの世界に2人の母が訪れた。
夢の中で若き母は息子の手を引き、駅まで続くリンゴ畑の近道を
澄んだ声で歌いながら歩いて行く。
柔らかく暖かい手だった。
眠くなった私が胸に抱かれると、いつのまにか病床の母に代わっていた。
私の頭を撫でながら優しい言葉が心地良い。
「私の分までしっかり生きなさい。油断してはダメですよ。」
細く白い指がきれいで、触ろうと手を伸ばすと、……目が覚めた。
退院後、写真を久しぶりに眺めてみる。
闘病中の母の顔はあきれるほど、今の私に似ていた。
Produced by かもめ針灸治療室
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『母親』の存在というもののありがたみを最近になって強く感じます。
その分、父親に親孝行したいなぁ、などとけなげな思い(笑)でいます。
いつも応援有難うございます。(ペコリ)
そうですね、幼心にも何か感じるものがあったのでしょうね。
ほとんど思い出はないのですが、あの日の事だけは断片的に覚えているのです。
それだけでも幸せだと思います。^^)