平日というのに駐車場は満杯で,、酒匂川(さかわがわ)の河川敷へと誘導された。
山の中腹までシャトルバスが出ているとのことだったが、健康のために歩くことにした。
というより、バスを待つ人の群れを見て、ぎゅうぎゅう詰めの車内で右に左に揺さぶられるより、のんびりと、ぶら歩きがしたかったのである。
川の土手に登るとピンク色に彩られた松田山が見えた。
そしてはるか左後方には白く雪をまとった富士山が、澄んだ青空をバックに立ち上がっている。
風は冷たかったが、春の陽射しを浴びながら長い橋を渡り、山の登り口にさしかかった頃にはうっすらと汗ばんで、北風が心地よく感じられた。
ちょうど良いタイミングでベンチがあったので、妻と2人並んで掛けた。
コートを脱いでボトルのお茶を飲む我々の前を、大勢の人たちが登ってゆく。
急な坂道を登り切り、散策路に入り込んだ途端、華やかな桃色のひさしが覆いかぶさってきた。
濃い花の重なりを抜けて差し込む春の陽射しもやわらかく色づいて、木々の間を埋め尽くす菜の花の黄色い絨毯に降り注いでいる。
つづら坂を登るにつれ、いよいよ花の密度は増してゆき、甘い芳香も漂いだした。
登る人と降りてくる人の群れで肩が触れ合うほどであるが、どの顔も穏やかにみえる。
濃密な空間から開放されて中腹にたどり着くと、急に視界が開けた。
振り返ると眼下には足柄平野が大きく広がり、ゆるやかに酒匂川が横たわっている。
遠くには小田原の街並みと、さらにその先には太平洋が青く白く見えた。
右手には箱根連山や丹沢の山々が峰を連ね、富士山はそれらのはるか後方に悠然としている。
そんな風景を背景に写真を撮ろうとする初老の夫婦がいた。
右手に杖を持った奥さんは足取りが弱々しく、ご主人が片手で体を支えながらカメラを準備している。
両手で杖を握り、立っているのがやっとという状態の妻を、夫が撮ろうとしていた。
にわかカメラマンを申し出て、2人並んだ数枚の写真を撮ってあげると、かれらは何度も頭を下げて遠ざかっていった。
絡めた腕の先の手を握り、寄り添って歩いてゆく夫婦を見送りながら、Kさんのことが頭に浮かんだ。
50代のKさんは両耳がまったく聴こえない状態で、ご主人に付き添われて来られた。
突発性難聴になったのは片耳だが、中耳炎の後遺症でもう片方の聴力をすでに以前から失っていたために、完全に音を失った。
突然の激しいめまいと嘔吐のあと、聴こえていた耳に難聴が起きた。
ご主人は関西に単身赴任中で、ひとり暮らしの真夜中に発症したのだ。
複数の病院でできる限りの治療を受けたが回復せず、これ以上は手立てが無いことを宣告された。
そしてご主人がネットで調べて相談の電話をくれたのだった。
きわめて難しい状況だったが、Kさん夫妻に
「あとで悔いが残らないように、やるだけのことはやってみましょう。」
私自身にもそう言い聞かせて治療をスタートした。
聴こえないつらさに加えて、時には爆竹のように響く激しい耳鳴り、そして、めまいとふらつきがKさんを苦しめた。
そのために杖がなければ、歩行もあぶない状態だった。
そうした訴えに対して、筆談という限られた手段でしか会話や激励ができないもどかしさ。
そのもどかしさも、私より彼女のほうが桁違いに強かったに違いなかった。
結局、結果が出ないままに時間が経過し、治療を中断したいと申し出があった。
なにもしてやれなかった自分に、苦いものが残った。
最後の治療が終わったあと、ご主人がポツリと言った。
「会社に事情を話し、こっちに戻してもらうことにしました。今になって考えてみると、妻は何ひとつ文句も愚痴も言いませんでしたが、僕の単身赴任で1人ぽっちで家に残されて…、きっと寂しかったんじゃないか、それが原因だったんじゃないかって…、最近、そう思えて仕方ないんです…。」
最後は言葉が詰まって語尾がふるえていた。
妻から顔をそむけた彼の目の縁が赤く盛り上がって見えた。
桜のソフトクリームを買ってきた妻の声に我に返ると、先ほどまでの鮮やかだった寒桜は霞がかかったように滲んでいた。
幸せってなんだろうな…。
並んで歩き出した妻の手をたぐり、にぎった。
桜ソフトの甘さと心の苦味が私の中で混じりあっていた。
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